第54回
修觀第五十四
2019.02.21更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
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修觀第五十四
54 「道」を修めるとその功徳は計り知れない
【現代語訳】
しっかりと建てられたもの(「道」)は、引き抜かれることがなく、しっかりと抱(いだ)かれたもの(道)は、抜け落ちることはない。そのようにして「道」を守っていけば、子孫は代々と絶えず、先祖の祭祀も続くことだろう。
そうしたやり方で個人の身を修めると、その徳は本物となる。このやり方で家を修めていくと、その徳は余りあるほどとなる。このやり方で郷里を修めていくと、その徳は長く続くものとなる。このやり方で国を修めていくと、その徳は豊かなものとなる。このやり方で天下を修めていくと、その徳は広くゆきわたることになる。
だから、個人の修め方でその個人を観察し、家での修め方でその家を観察し、郷里での修め方でその郷里を観察し、国での修め方でその国を観察し、天下の修め方でその天下を観察するのである。私はどのようにして天下のことがわかるのだろうか。それは以上の方法によってである。
【読み下し文】
善(よ)く建(た)てたるは抜(ぬ)けず、善(よ)く抱(いだ)けるは脱(だっ)せず。子孫(しそん)以(もっ)て祭祀(さいし)して輟(や)まず。
これを身(み)に修(おさ)めば、其(そ)の徳(とく)(※)は乃(すなわ)ち真(しん)なり。これを家(いえ)に修(おさ)むれば、其(そ)の徳(とく)は乃(すなわ)ち余(あま)りあり(※)。これを郷(きょう)に修(おさ)むむれば、其(そ)の徳(とく)は乃(すなわ)ち長(なが)し。これを国(くに)に修(おさ)むれば(※)、其(そ)のの徳(とく)は乃(すなわ)ち豊(ゆた)かなり。これを天下(てんか)に修(おさ)むれば、其(そ)の徳(とく)は乃(すなわ)ち普(あまね)し。
故(ゆえ)に身(み)を以(もっ)て身(み)を観(み)、家(いえ)を以(もっ)て家(いえ)を観(み)、郷(きょう)を以(もっ)て郷(きょう)を観(み)、国(くに)を以(もっ)て国(くに)を観(み)、天下(てんか)を以(もっ)て天下(てんか)を観(み)る。吾(わ)れ何(なに)を以(もっ)て天下(てんか)の然(しか)るを知(し)るや。此(こ)れを以(もっ)てなり。
- (※)徳……ここでは「道」によってもたらされる恩恵のこと。
- (※)余りあり……余裕があること。(恩恵が)たくさんあること。
- (※)国に修むれば……国は「邦」であるとする説も多いが、「邦」を国としたのは、前漢の高祖・劉(りゅうほう)邦の諱(いみな)を避けたためであるとされている。
【原文】
修觀第五十四
善建者不拔、善抱者不脫、子孫以祭祀不輟。
修之於身、其德乃眞。修之於家、其德乃餘。修之於鄕、其德乃長。修之於國、其德乃豐。修之於天下、其德乃普。
故以身觀身、以家觀家、以鄕觀鄕、以國觀國、以天下觀天下。吾何以知天下然哉、以此。
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